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ぶどう農家として歩んだ10年 ―吉備中央町で見つけた理想の暮らし―瀬尾和弘さん

印刷用ページを表示する 掲載日:2025年2月25日更新

「50歳を迎えたとき、新しい一歩を踏み出したいと思った」

そんな思いから全国を巡り、農業への道を模索し始めた瀬尾和弘さん。最終的に移住先として選んだのは、岡山県吉備中央町でした。

ぶどう農家としての挑戦、地域とのつながり、そして「幸せになること」を大切にした暮らし。移住から10年が経った今、改めて感じる吉備中央町の魅力とは? 瀬尾さんの移住ストーリーをお届けします。

 

Q 移住をされて何年目ですか?

- もう10年くらい経ちます。2014年3月に移住しました。

 

Q 移住のきっかけを教えてください。

- 自分が50歳になった時に何か新しい次のステップが踏めないかなぁと考えていました。きっかけは東日本大震災もあったし、仕事に追われる毎日で、これで50歳、60歳と迎えていくのかと思うとやっぱりちょっとちがうのかな?と考えたこともありました。

 

会社を辞めて、1年間ほど自由な時間を作り、日本全国色んなところに行きました。東北地方・関東・九州・中国地方など。特に関東地方はその当時まだ“移住”に対して前向きな市町村があまりありませんでした。

 

そんな時、鳥取県で農家の体験研修があり、そこで知り合った方から「果樹がいいよ!」とアドバイスをもらい、隣県の、桃やぶどうが有名な岡山県を中心に物事を考えるようになりました。“就農”を具体的に考え始めたのはこの頃からです。それまでにも農家を転々と歩いてみましたが、頭の中で具体像があったわけでもなく、「大根作って暮らせるのかな?」「マンゴー作って暮らせるのかな?」と非常に悩みました。そんな時に、吉備中央町にぶどう栽培メガ団地の計画や就農実務研修があることを知りました。

 

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Q 一番の決め手は?

- 自分の心に負荷をかけない暮らしをしたいと思ったところです。

 

Q 相談窓口はどういうところをご利用されましたか?

- はじめは、東京都内で開催された移住フェアに行きました。就農フェアも行きました。

 

Q 移住のハードル、苦労した点など教えてください。

- 知り合いがいない土地だから、誰を、何を信じたらいい分からないことは多くありました。本当に自分に合った環境なのか…と。自分に合っている土地柄なのか分からないというのがとても苦労したところです。

 

Q 移住前に吉備中央町に訪れたことはありますか?

- 何回か訪れました。途中から就農相談をしていたら、「吉備中央町で就農するのなら、ぶどう!」という流れになってました。行く方向が、まるっきり分からなかったところから、色んな意見を聞いて徐々に見えてきた感じです。

 

Q 住まい探しについて教えてください。

- まずは吉備高原が環境の良いところだなぁと気になり、中古物件を探して不動産会社へ行きました。しかし、なかなか良い出会いがありませんでした。

ぶどうの師匠が助言してくれたのが、「ぶどう農園から近いところがいいよ」というので、今住んでいる家を選びました。近くに指導してくださる農家さんやぶどう部会の方々もおられるので、時々寄って相談に乗ってくれたりして良かったと思っています。

 

Q 家を見つけられるまでは、時間がかかりましたか?

- 研修期間の2年間は、町の用意した住宅に住んでいました。実際に農業をはじめる時には作業が多すぎて、家内も来てくれないと手が回らなかったので、そのタイミングで購入しました。

 

Q 研修について教えてください。

- 1カ月間、指導農家さんのもとで研修を受けた後、2年間、吉備中央農業公社で実務研修を受けました。メガ団地にぶどうを植える時にも、指導農家さんに教わりながら植えて育てていきました。親身に相談に乗ってくださいました。人との出会いを大切にして来られたのが良かったと感じています。

 

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Q ぶどう農家になられて、やりがいなどを教えてください。

- 前職のバーテンダーは、既製品をお客様に勧める商売でした。「マスター美味しかったよ!」と言ってもらえても、嬉しい反面、どこか物足りなさも感じていました。それならもとから作る側になってみよう!と考え、九州で芋焼酎の会社に就職しようかとも思いましたが、募集しておらず…。だったら原料にもなるぶどうを作るのも面白いのではないか?!と思ったことがぶどう農家になるスタートでした。

そして、自分が作ったぶどうが「美味しい!」と言ってもらえて、評価されることに喜びや、やりがいを感じています。土から肥料から栽培管理から、自分で一から作り上げて、「ぶどうはこうやってできるんだなあ」と。

 

Q 大変だったことは何です?

- 大変なことは、植物なので成長が待ってくれないということです。「もうちょっと待っててくれる?」とぶどうに話しかけても、どんどん芽が出て、葉っぱが出てきて、虫も付くし病気にもなるし、手が回らなかったこともありました。5月~7月は特に忙しいです。適期にジベレリン処理をしないと種が残ったり、実も大きくならなかったりするので。

 

Q 栽培面積はどのくらいですか?

- 今は50アールちょっとです。最初70アールだったんですが、ギリギリの作業量で大変だったこともあり、僕のあとに来られた新規就農者に譲り渡しました。これが、今、部会の目指しているところで、「面積を減らして、もっとぶどうに手を入れて、高品質のものを作る」というテーマです。

 

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▲岡山ハイブリッドメガ生産団地

 

Q JA岡山加茂川ぶどう部会長には、いつから抜擢されたんです?

- 2年前です。1期2年なので、今年から2期目になります。

 

Q 部会長になられた経緯は?

- 背が高かったから!(笑)前部会長も背が高く、「瀬尾くん、背が高いんだからやりなさい」とご指名があり(笑)それと、年代層にちょうど中間層がいなかったから繋ぐ役割ということもありました。あとは、前から役員をしており、新規就農者やぶどうの出荷に関して思うところもあったので、そういうのを表現してみるのもいいかなぁと思ったから引き受けました。

 

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Q 今後の展望について教えてください。 

- シャインマスカットの値段が下がり始めており、品質を上げないことには、長野県や山梨県には対抗ができないので、品質に重きを置く意識を浸透させていきたいと思います。

ぶどう部会をきっかけに移住者なども増えて、町がより活性化していくことが何よりだと思います。広い面積で、たくさん作ることが全てではなく、【良いモノ】を作って、自分が満足できる生活を送ること。

 

あと、絶対にここだけは譲れないのは“幸せになること”その為なら何でもしようと決めています。農業を始める時、就農計画書を作成したのですが、その中で「地域の活性化の一端となる」と書いたので、それが実現できたのがなによりも嬉しいです。まさか、部会長を引き受ける日が来るとは思わなかったですけれども。

 

Q 吉備中央町の良さを教えてください。

- 柔軟性のあるところです。はじめは疎外感を感じることもありましたが、どんどん受け入れてくれ、いつの間にか「うちの米食べて」と持ってきてくれるようになりました。

地元農家の方も、先祖代々受け継がれる畑などの土地を手放すという考えがなかったのですが、「このままでは過疎化・離農の問題が解決していかない」という考えが浸透して、新規就農者に譲るという考え・意識に変わってきています。

 

日本農業賞に関しても当初よりも大賞を取ったことで「ここが有名になることは良いことだ」と言ってもらえました。他県からきた人間が先頭に立ってやったら「生意気だな」と思われるようなところも、どんどんどんどん協力をしてくださって一致団結する、そういう柔軟性は大切だと思います。

 

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第53回日本農業賞(集団組織の部)大賞(令和5年度)

 

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日本農林漁業振興会会長賞(園芸部門)(令和6年度)

 

Q 移住(就農)を考えられている方に一言お願いします。

- 農業をしながら、幸せに暮らすことができますよ。

 

 

(コメント)

 瀬尾さん、貴重なお話をお聞かせいただきありがとございました。吉備中央町での移住・就農を考えられている方の指針になるお話が満載でした。これからも加茂川ぶどう部会長として活躍されることを期待しています。

 

 

 

 

 

自然豊かで、人と人とのつながりを大事にしている町「吉備中央町」での暮らしはいかがですか?移住のご相談は、定住促進課(Tel0867-34-1116)へお気軽にお尋ねください!

 

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