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京都の石清水八幡宮の別宮として、平安時代中期に創建されたと伝えられる国指定重要文化財です。当番祭は県下三大祭りの一つであり、約1ヶ月続き、大祭のハイライトは、白装束の当番様による「走り競べ」です。
祭神 應神天皇、仲哀天皇、神功皇后
毎年10月1日~下旬 (大祭は第4日曜日)
吉川八幡宮で毎年10月1日から10月下旬まで1ヶ月近く続く秋の大祭で、古代から伝承された民衆的な祭りでもあり、日本的な感傷やユーモアを祭りの全体を通して伺い知ることができる文化的価値の高い祭りです。
当番祭とは「訪問する最初の祭り」という意味であり2社以上の八幡宮の氏子互いに訪問し合い、氏子の反映と豊穣を神に祈り同族の絆を深める祭りです。
祭りは「当ざし」という神事で吉川地区の男児(10歳前後)を神社の南北から1人づつ選ばれた候補者の氏名を書き込んだ紙片を丸めて三宝にのせ、宮司祝詞を奏でながら御幣によってつり上げ、当人を決めることから始まります。
10月第3土曜日には「垢離(こり)とり(心を守る)」で当番が神人になり、後日神の降臨をあおぐ「はくけ」という工作物を当番の家の庭に作り、古式にのっとり諸神事を行います。
第4土曜日が宵祭、第4日曜日に大祭が行われ、当家で着飾った馬に乗った当番を中心とした行列が神社に参拝し祭りのクライマックスである「走り競べ」の行事を行います。大祭翌日の「はくけあげ」の神事で昇神し、当番が俗人にかえり、祭りが終わります。
時代 | 西暦 | 和暦 | 出来事 |
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平安 | 1096年 | 永長元年 | 現在の吉川地区に社地を築き社殿を造営、まもなく石清水八幡宮の別宮となる |
安土桃山 | 1574年 | 天正2年 | 社頭並びに寺院が焼失 |
1592年 | 文禄元年 | 豊臣秀吉三百六十五石を八幡宮に寄進 | |
1600年 | 慶長5年 | 慶長年中領主木下家の祈願所となる。 | |
江戸 | 1604年 | 慶長9年 | 木下肥後守の資金による社務所の修理 |
1712年 | 正徳2年 | 社の大改修(肘木、組物等大部分が現在も残っている) | |
1750年 | 寛延3年 | 隋神門建立 | |
1801年 | 享和元年 | 徳川幕府の直轄となる | |
1828年 | 文政11年 | 一橋家の所領となる | |
明治 | 1869年 | 明治2年 | 神社分離により神護寺に仏体に属する物を移動 |
1901年 | 明治34年 | 村社から郷社になる | |
大正 | 1925年 | 大正14年 | 特別保護建造物に指定 |
昭和 | 1926年 | 昭和元年 | 本殿神饌所建設 |
1927年 | 昭和2年 | 本殿玉垣建設 | |
1928年 | 昭和3年 | 郷社から県社になる | |
1950年 | 昭和25年 | 国指定重要文化財となる | |
1955年 | 昭和30年 | 当番祭が県重要民俗資料に指定 | |
平成 | 2000年 | 平成12年 | 吉川八幡宮保存修理工事が行われる |
吉川八幡宮所在地:吉備中央町吉川3932